The Man of The Month
「今月生まれのこの人」の “心にきざむ言葉”
「どんな悲惨な状況でも、人は助け合える!」 オードリー・ヘップバーン
オードリー・ヘップバーン
Audrey Hepburn
(1929年5月4日生まれ)
『永遠の妖精』という言葉がふさわしい映画界のスターといえば、オードリー・ヘップバーンがすぐに浮かんできます。彼女の気品あふれた美しさ、ファッションセンス、その仕草は、数多くの映画女優の中でも際立っており、特別な印象を残しています。
『ローマの休日』『麗しのサブリナ』『ティファニーで朝食を』『マイ・フェア・レディ』など。オードリー・ヘップバーンが出演した映画作品は、いくつもの印象的なシーンを残し、今でも、色褪せることがありません。
「永遠の妖精」として輝き続けた女優人生だが
幼少期は戦乱の中で過酷な経験も
1929年5月4日。オードリー・ヘップバーンはベルギーのブリュッセルに生まれています。
父ジョゼフ・ヘプバーン・ラストンはアイルランドとイングランドの血を引く銀行家で、母エラ・ファン・ヘームストラは、オランダの裕福な地主貴族のお嬢様でした。オードリーは上流階級の夫婦の間にできたひとり娘でした。
しかし、幼少期のオードリーの歩んだ道は決して平坦ではありませんでした。
6歳の頃、父は母の財産管理に失敗してしまい、“親ナチス”となってロンドンに失踪してしまったのです。
バレエ学校に通いながらモデル業などで生計を立てていたロンドン時代。
オードリーは一時は父の元で暮らし、ロンドンの寄宿学校に入り、バレエを習い始めました。
しかし、反ナチスだった母によって、オードリーは母の故郷であるオランダのアンヘルムに戻ってくることになりました。
ナチスの猛攻を避けるために帰郷したオランダで「アルンヘムの激戦」が勃発。辛くもナチスの手から逃れたものの、オードリーは地下室の中で「1ヶ月もの間たったひとりで暮らす」という過酷な経験を強いられてしまいました。
少女だったオードリーは両親の離婚で深い傷を負い、さらに心と体に恐怖と絶望を刻み込んでしまいました。
その体験からか、その後のオードリーの心の底には、「愛にあふれた安らぎの家庭と、頼れるパートナーを切実に求める」という気持ちが膨らみ、彼女の人生の歩みに大きな影響を与えたのでした。
モナコで発見された可憐な少女
ブロードウェイの舞台劇『ジジ』の主役に抜擢される
19歳になったオードリー・ヘップバーンは、航空会社の宣伝のための映画の端役や、バレリーナとして小さな舞台に立つ、という日々をおくっていました。
当時、フランス文学界で名を知られていたシドニー・ガブリエル・コレット女史は、自ら原作を書き、ブロードウェイで舞台劇になる『ジジ』「(GIGI)の主役のイメージにかなう女優を探していました。
そして、モナコで、映画の撮影に来ていたオードリー・ヘップバーンを見て、妖精のようなたたずまいに、「私のジジがいたわ!」と叫んだのです。
ブロードウェイでの初舞台となった「ジジ」のポスターに見いる
コレット女史の強い要請を受けて、オードリーは最初「私には無理です。演技力がありませんから」と辞退していました。しかし、それでもコレット女史はあきらめません。最後には、コレット女史の説得を受け入れ、舞台劇「ジジ」はオードリー・ヘップバーンのブロードウェイ・デビューとなりました。22歳の時でした。
そして、同じ頃、オードリー・ヘップバーンにはもうひとつの出会いが待っていました。
アカデミー賞の作品賞・監督賞を受賞し、ハリウッドで名監督としての評価を固めつつあったウィリアム・ワイラー監督は、次回作の『ローマの休日』の主演女優を探していました。
ワイラー監督のスタッフの一人が、舞台「ジジ」を見て、オードリーを候補のひとりに推薦したのです。
凛とした美しさで世界を魅了した『ローマの休日』
初の映画でアカデミー主演女優賞を受賞
実は、『ローマの休日』のヒロインには、ジーン・シモンズが決定しかけていたのですが、彼女は初のシネマスコープ作品となる映画「聖衣」の出演交渉を受けてしまっていました。また、当時の女性の美の象徴とも言われていたエリザベス・テイラーも『ローマの休日』へ興味を示していました。
エリザベス・テイラーの華やかさ。魅惑的な顔立ちに比べ、オードリー・ヘップバーンは「豊かではない胸、ややエラの張ったアゴが自分の欠点」だと思い込んでいました。
ニューヨークで再度、『ローマの休日』のオーディションが行われ、オードリー・ヘップバーンはワイラー監督が求めていた「純真な美しさを持ち、凛とした魅力を持つヒロイン」のイメージにぴったりだったのです。
ワイラー監督はオードリーをヒロインに据えることを決め、「ジジ」の公演が終わるまでの8ヶ月間、映画の撮影開始を遅らせ、待っていたのです。
『ローマの休日』のストーリーは皆さんもよく知っていると思います。
24歳で出演した『ローマの休日』が空前の大ヒットとなり、世界規模で一大ブームを巻き起こす。
ヨーロッパ各地を表敬訪問中のアン王女(オードリー・ヘップバーン)が、、王室のしきたりやハードスケジュールにストレスがたまり、城から抜け出してしまいます。
医者から打たれていた鎮静剤の影響もありローマの路上のベンチで眠りかけているところ、アメリカ人新聞記者のジョー・ブラッドレー(グレゴリー・ペック)と出会います。
ブラッドレーはアン王女のスクープをとろうと、最初は、身分を偽り彼女に接近しますが、ローマで1日だけの休日を楽しんでいるうちに、二人の仲は次第に接近していきます。
アン王女がスペイン階段でジェラートを食べるシーン、「真実の口」でブラッドレーが王女を驚かすシーン。いくつもの名シーンがあります。最後は映画史に残る感動のラストです。
映画史に残る名シーンともいえる「真実の口」での二人
生来の瑞々しい感性を駆使して演じきったオードリー・ヘップバーンは初のアメリカ映画の出演で、アカデミー賞主演女優賞を受賞という快挙を実現します。
共演したグレゴリー・ペックは「彼女は、気品と美しさ、最新ファッションと活発さ、そして洗練された魅力とひょうきんな明るさのシンボルでした」と賞賛。
気品あふれるアン王女を演じるオードリー・ヘップバーン
作中のオードリーは世界中の女性に“ファッション”の影響を与えました。アン王女は、襟があいたシャツにスカートというファッションで過ごしています。そのときどきで、襟をしめてスカーフを首に巻いたり、袖をロールアップしたりしてアレンジしています。手持ちの服をアレンジしてスタイリッシュに着こなすというスタイルは、世界中の女性たちを魅了しました。
『ニューヨークタイムズ紙』は「このイギリスの女優はスリムで妖精のようで、物思いに沈んだ美しさを持ち、反面堂々としていて、新しく見つけた単純な喜びや愛情に心から感動する無邪気さも兼ね備えている」という記事を掲載しました。
『麗しのサブリナ』でジバンシィと出会い
そのファッションが世界の流行を左右する
『ローマの休日』で大成功を収めたヘプバーンに次の作品は、ビリー・ワイルダー監督の『麗しのサブリナ』です。
お抱え運転手の娘で美しく成長したヘプバーン演じるサブリナが、ハンフリー・ボガートとウィリアム・ホールデンが演じる富豪の兄弟の間で心が揺れ動くという物語です。
彼女は衣装を作るために、パリの新進気鋭のデザイナーであったユベール・ド・ジバンシィ(GIVENCHY)のアトリエをたずねます。
ジバンシィは「ヘップバーン」が来るというので、「キャサリンヘップバーン」が来ると思って楽しみにしていたのです。しかし、ドアをあけて入ってきたのは、オードリーでした。
目の前に現れたこの若い女優を見るや否や、ジバンシィはその独特な存在感と個性的なファッションセンスに、たちまち魅せられてしまいました。この作品の中で彼女が着ていたトレアドルパンツにフラットシューズは大評判になり、サブリナルックとして日本でも大流行しています。
サブリナスタイルは今見てもおしゃれ!(パラマウント)
ジバンシーなしでは彼女の映画は語れない程、ジバンシーの衣装はオードリーを引き立てました。
極め付きは、『ティファニーで朝食を』(1961年)の中でのオードリー・ヘップバーンのファッションでした。
ロング丈のイヴニングドレスやフリンジを配した黒いウールドレスにサングラスなどがハイセンスなモード。この劇中のシーンを真似てニューヨークのティファニー本店前にデニッシュを手にするサングラス姿の女性が殺到するほどの社会現象を巻き起こしたのでした。
私生活では満たされない日々を送る
二度の離婚の後につかんだ「安らぎ」
映画女優としてのオードリーは、『パリの恋人』、『「昼下りの情事』、『尼僧物語』、『ティファニーで朝食を』、『シャレード』、『マイ・フェア・レディ』、『いつも2人で』、『暗くなるまで待って』といった作品に恵まれ、その人気はh広がっていき、スターの座を確実なものにしていきます。
評価も、アカデミー賞主演女優賞をはじめ、ゴールデングローブ賞主演女優賞、トニー賞演劇主演女優賞、英国アカデミー賞主演女優賞など次々と受賞していきます。
しかし、その一方で、私生活の面では、オードリーの歩んだ道は決して順風とは言えませんでした
『麗しのサブリナ』で共演したウィリアム・ホールデンとの恋も含めて、いくつかの恋と破局を経験した後、1954年に12歳年上のメル・フェラーと結婚。
1960年には長男ショーンを出産。しかし14年間に及んだ結婚生活は皮肉にもメル・フェラーがプロデュースし、オードリーが主演した『暗くなるまで待って』を機に破局し、離婚してしまいます。
数度の辛い流産を乗り越えて最愛の息子シェーンが誕生。母親としての大きな喜びを得た。
その後、オードリーは映画界から一旦身を引き、1969年にはイタリア人の精神科医、アンドレア・ドッティと再婚。翌1970年には次男ルカを出産するのですが、当初からドッティは家庭を顧みることなく、すれ違いが続き、結婚生活はうまくいかず、82年にはドッティとの離婚が成立します。
「オランダにはこんなことわざがあります。『くよくよしてもしかたがない。どのみち予想したとおりにはならないのだから』、本当にそう思うわ」
失意の中にあったオードリー・ヘップバーンでしたが、やすらぎを手に入れることができたのは、オランダ人俳優ロバート・ウォルダースに出会ってからでした。
「自分が愛すると同様に自分を愛してくれる」という相手、ロバート・ウォルダースとの愛のこもった生活を手に入れ、結婚こそしませんでしたが、二人はスイスのトロシュナ村でともに愛に満ちた暮らしを始めます。
安らぎを与えてくれるロバート・ウォルダースとともにスイスで過ごす
さらに、オードリーに生きがいを与えたのは、1988年に国際連合児童基金(ユニセフ)の親善大使となったことでした。
若い頃からオードリーは世界中の不幸な子供たちに、愛を注ぎ続けていましたが、ユニセフ親善大使になったのを契機にさらに精力的に活動し、アフリカ、南米、アジアなどの恵まれない人々へ惜しみない援助の手を差し伸べています。
ユニセフ親善大使として、生きがいを見つけ
世界の恵まれない子どもたちを支援
オードリーはこう語っています。
「私は、ユニセフが子どもたちにとってどんな存在なのか、はっきり証言できます。なぜなら、私自身が第二次世界大戦の直後に、食べ物や医療の援助を受けた子どもの一人だったのですから……」
ユニセフ親善大使として世界各国を訪問し、子供たちと話す
1989年のスティーヴン・スピルバーグ監督作『オールウェイズ』を最後に60歳で女優を引退。
女優として、世界中を魅了したオードリーでしたが、彼女は自分自身の演技力に「常に不安を感じていた」と言っています。
オードリーはその呪縛からに抜け出すことができたのです。
「私にとって最高の勝利は、ありのままで生きられることを知ったこと、自分と他人の欠点を受け入れられるようになったこと!」
エチオピア、トルコ、ベネズエラ、エクアドル、ホンジュラス、スーダン、バングラデシュ、ベトナム、ソマリアなど、戦争や貧困の深刻な地域を訪ね、飢えや病気に苦しむ多くの子供達の現状に接し、励まし、食料、薬品などの支援やその広報活動に励み各地の悲惨な状況を世界の人々に訴えました。
若いころは自分が有名になったことに戸惑いを感じていたというオードリーでしたが、「有名になってよかったわ。知名度のおかげで、人は耳を傾けてくれるし、こういう仕事ができるもの。本当に価値ある仕事だわ」と語ります。
「戦争が終わった時、私は重度の栄養失調だった。 私の人生は、その頃の記憶で形作られている。 あの苦しい時代が教えてくれた一番大切なことは、どんな悲惨な状況でも、人は助け合えるということ、悲惨であればあるほど互いが必要になる」
「世界で最も多くの写真を撮られた女優」
スイス・トロシュナ村に戻って最後の時を過ごす
最も悲惨な状況と言われるソマリアの子供たちを訪問中、オードリーは自らの身体の異変に気が付きますが、誰にも言わず痛みを我慢しながら仕事に励みました。
オードリー・ヘップバーンに悪性のがんが発見されたのは、それから数ヶ月後のことでした。
精密検査ののち、ロサンゼルスの病院へ入院。開腹手術が行われましたが、すでに手が付けられない状態にまで病状は進行していました。末期の結腸ガンでした。
自分よりも支援を優先させてきたものの、死がそこまで近づいていると悟った彼女は「スイスに戻りたい」と願います。
トロシュナ村で最後のクリスマスシーズンをすごしたのち、パートナーのウォルターズと長男ショーン、次男ルカに見守られながら、1993年1月20日、永遠の眠りにつきました。
オードリーがスイスで住んでいた家は、トロシュナ村というとても小さな村にある
享年63歳、早過ぎる死。オードリー・ヘプバーンはトロシュナ村を一望できる小高い丘の小さな墓地に埋葬されています。
オードリーが静かに眠る墓には絶えず花が手向けられている( Shutterstock)
オードリー・ヘプバーンは死後にグラミー賞とエミー賞も受賞しており、アカデミー賞、エミー賞、グラミー賞、トニー賞の受賞経験を持つ数少ない人物の一人となっています。
オードリー・ヘップバーンは「世界で最も多く写真を撮られた女優」でもありました。
<参考資料>
●25anz「永遠の妖精♥オードリー・ヘプバーンの美しき人生をおさらい!」
https://www.25ans.jp/celebrity/celebrity-life/g103831/170502–103831/
●稀代の女優オードリー・ヘプバーン、その知られざる人生と意外な素顔|ハーパーズ バザー(Harper’s BAZAAR)公式 (harpersbazaar.com)
●【永遠のオードリー・ヘップバーン】
https://ameblo.jp/audrey-beautytips/theme-10001839066.html