「我々ができることは、いまを生きることだけだ」               宮沢賢治

宮沢 賢治 

(みやざわ けんじ)

(1896年8月27日生まれ)

「雨ニモマケズ」の詩や、童話『銀河鉄道の夜』『風の又三郎』などの作品で知られる宮沢賢治は、1896年(明治29年)8月27日、岩手県花巻に生まれています。

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小さな頃から、自然に関する読書や、昆虫の標本づくりが好きで、自然の中で遊ぶ子供だった、と言われています。
中学時代には鉱物採集に熱中し、近くの山を歩き回っては、岩石を集めていました。
「盛岡高等農林学校(現在の岩手大学農学部)」に首席で合格した宮沢賢治は、農業を学ぶかたわら、文学活動も始め『アザリア』という文芸同人誌も出版しています。

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賢治が仲間たちと作っていた同人誌『アゼリア』

 

農業を指導しながら文筆活動をおくる
37歳でのあまりにも早すぎる死

15歳ごろから短歌をはじめ、22歳で童話を書き始め、多くの作品を残していくのです。
ただ、残念なことに、宮沢賢治の作品のほとんどは、賢治が生きているときに世の出たものがありませんでした。
高い評価を得て、「宮沢賢治」の名が一般に知られるようになったのは、賢治が死んだ後のことだったのです。

盛岡中学校(現在の盛岡第一高校)、盛岡高等農林学校(現在の岩手大学農学部)を卒業した宮沢賢治は、その後、「花巻農学校」の教師として農村子弟の教育にあたりながら、文筆活動を行なっていました。
30歳で農学校を退職し、独居・自炊生活に入り、それからは青年たちに農業を指導しながらの生活を送ります。

ただ、宮沢賢治は生来、病弱の体質を持っていたこともあり、32歳のときに病床に伏し、1933年(昭和8年)に急性肺炎に倒れ、37歳の若さで永眠しています。その生涯はあまりにも短いものだったといえます。

雨ニモマケズ風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク決シテ瞋ラズ(いからず)
イツモシヅカニワラツテイル……

この有名な「雨ニモマケズ」の詩は、逝去する2年前、35歳の時に賢治の手帳に書かれたものなのです。

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病床の賢治が手帳に書きしるした「雨ニモマケズ」の詩(宮沢賢治記念館より)

 

森羅万象と制約のない、自由な「語らい」を
詩と童話の中に散りばめる

宮沢賢治の作品で大きな特徴となっているのは、そこに「自然の情景」や「植物・動物」「宇宙」の姿が独特のユーモアやリズム感を伴って多く登場してくることでしょう。

例えば『セロ弾きのゴーシュ』は下手な演奏家だったゴーシュが鳥やネコ、タヌキ、ネズミなどと交流しながら、音楽の魂を学んでいくという物語です。

『雪渡り』では狐と子どもたちの交流が描かれ、『なめとこ山の熊』は熊の親子と猟師のふれあいが主題となっています。

また、風が吹き抜ける音や、雪を踏みしめる音、雨が降る音など、自然の音が宮沢賢治らしい独自の音感で、表現されているのも目立ちます。

それも、ただ、自然を描くだけでなく、そこには風や雲と人間が会話したり、太陽と星が話したり、いろいろな動物たちと人間が話し、交流したりする「コミュニケーション」の場面が出てきます。
森羅万象と制約のない、自由な「語らい」こそ、宮沢賢治の大きなテーマだったといえるのかも知れません。

野山をかけめぐり、動物・植物に囲まれ
「石っコ賢さん」というあだ名

もともと宮沢賢治の子ども時代のあだ名は「石っコ賢さん」というもので、これは植物や石に興味を持ち、郷里の豊沢川を歩き回っては面白い石を集めていたところからつけられたものだと言われています。
近くの野山を歩き回り、植物に囲まれ、動物の姿を思い浮かべ、石や土に思いをはせ、そこに没入していくところから宮沢賢治の作品が生まれてきたと言えるでしょう。

「世界ぜんたいが幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」
(農民芸術概論綱要)

賢治は常にそう考えていました。
宮沢賢治は「生き物はみな兄弟であり、生き物全体の幸せを求めなければ、個人のほんとうの幸福もありえない」と言っていたのです。

「我々ができることは、いまを生きることだけだ。過去には戻れないし、未来があるかどうかも定かではない」

「人の心を本当に動かすにはその人の体験から滲み出る行いと言葉しかない。知識だけでは人は共感を感じないからだ」

賢治の言葉は、まるで、そっと語り掛けてくるように、人の心に沁みこんでくるもの、と言えるでしょう。やさしさに包まれているものでした。

人と自然、人と宇宙の関わりをどう考えていくのか……。
この主題はいま、自然界の破壊や、地球環境の問題が大きくとりリ挙げられる現代にあって、ますます大きな課題として私たちの生活にかかわってきています。
宮沢賢治の心は、その大きな「道しるべ」になるものと言っていいのかも知れません。

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賢治が「敬愛するベートーヴェンの姿を模して撮らせた写真」と言われている。(資料:林風舎)

多くの作品が没後に発表され、1982年には出生地である岩手県花巻市に、「宮沢賢治記念館」が開館しています。

『銀河鉄道の夜』『風の又三郎』『注文の多い料理店』『セロ弾きのゴーシュ』……など、幻想的な情景描写が印象的な作品、子供たちの心象風景を描いた作品など、多くの作品を残していった宮沢賢治。

記念館では関係資料や作品の解説などが展示されています。

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<参考:「雨ニモマケズ」全文>

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラツテイル
一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ小サナ萱ブキノ小屋ニイテ
東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニワタシハナリタイ

<資料>
●宮沢賢治記念館 
〒025-0011 岩手県花巻市矢沢1-1-36
TEL:0198-31-2319
https://www.city.hanamaki.iwate.jp/miyazawakenji/kinenkan/index.html

●「まなぶンゴー」(宮沢賢治)
https://bungo-matome.com/miyazawakenji-wise-saying