山吹色のゴールドに翻弄された時代と人。「金」にまつわる話題は尽きず…
金目鯛
黄金の国・インカ帝国の興亡(3)
囚われた皇帝アタワルパ、黄金の身代金
狙われた「インカ帝国」の皇帝アタワルパ
スペインの軍人フランシスコ・ピサロがインカ帝国の黄金を狙って動き出しました。
しかし、ピサロ軍の軍勢はわずか160余名。これに対し、インカ帝国の軍勢は3万名。まともにぶつかっては、ピサロの勝利はありません。
そこでピサロは「ある計略」を考え出します。
インカ帝国ではすべての財産、すべて権利・権力は「太陽の御子」である一人の皇帝に集中することが慣習になっており、インカ帝国の皇帝の命令は絶対的であり、皇帝自身の命運がそのままインカ帝国の命運であるともいえるものでした。
ピサロはインカ帝国の皇帝・アタワルパ一人に照準を絞ったのです。
カハマルカの町に進駐していたピサロは、2人の武将を使者として送り、皇帝アタワルパに「友好のための会見」をしたいと伝えたのです。
1523年11月16日の昼、アタワルパは豪華な御輿に乗って、カハマルカの町の広場にやってきました。
「平和的な話合いを!」という要請に応えて。武器は持っていません。
しかし、そのときピサロが考えていたのは
「アタワルパを生け捕りにするのだ!」ということです。
広場にはピサロの部下の精鋭が潜んでいたのです。
「生かして、捕えろ!」
「サンティアゴ!」と叫ぶピサロの合図とともに、銃砲が火を吹き、トランペットが鳴り響き、ピサロ軍の兵士が一斉に襲いかかかりました。
「生かして、捕えるのだ!」
ピサロも4人の兵士とともにアタワルパに迫り、ウデをわしづかみにします。
決着が付くまで30分とはかかりませんでした。
アタワルパの護衛軍は雲散霧消し、アタワルパ自身も御輿から引きずり下ろされ、ピサロの手によって捕虜となったのです。
「皇帝を生かしておいて、皇帝を利用して、インカを思いのままにする」
というのがピサロの計画でした。
侵略者であるスペイン人が求めるのはインカ帝国の膨大な量の黄金です。
アタワルパはカハマルカ町内の石作りの建物の一室に監禁されたものの、従来と同じように女たちにかしずかれ、重臣たちと接見することが許されていました。
わずかな兵でインカ全体を支配するためにはまだ皇帝の威光が必要だったのです。
カタチの上では、アタワルパはまだインカ帝国の皇帝でしたが、実際には常時スペイン兵に監視された、ピサロの傀儡(かいらい)でした。
「部屋いっぱいの黄金」との引き換え
囚われの身となったアタワルパはすぐにあることに気がつきました。
スペイン人たちがあるひとつのものに異常なまでの関心と執着を示す、ということです。
黄金です―。
アタワルパは提案をします。
「もし、私を自由の身にしてくれるのならば、この部屋を黄金でいっぱいにして見せる」。
部屋といっても決して小さな牢獄ではありません。間口は4メートル、奥行きは7メートルあります。
アタワルパの提案を受け入れられ、ほどなく、黄金が次々と運び込まれてきます。
その量はスペイン人を驚愕させるのには充分すぎるほどのものでした。「これほどの黄金を皇帝の命令ひとつだけで集められるとは…。インカ帝国にはいったいどれほどの黄金が眠っているのか」
身代金の黄金は、ピサロらスペイン人を満足させるのではなく、「黄金の亡
者」へ駆り立ててしまったのです。
カテゴリ: 歴史