「何かを成し遂げようとするとき、ヒーローである必要はない」              エドマンド・ヒラリー

エドマンド・ヒラリー

Edmund Hillary

(1919年7月20日生まれ)

人類初のエベレスト登頂に成功
テンジンとともに世界最高峰に立つ

1953年はイギリスにとって記念すべき年でした。
前年に即位したエリザベス女王の戴冠式が6月2日に予定され、祝賀ムードに包まれている中、5月29日にビッグニュースが飛び込んできたからです。

世界最高峰エベレストに挑戦していた英国隊が登頂に成功したというものです。ニュージーランド出身の登山家エドマンド・ヒラリーが、チベット人シェルパ、テンジン・ノルゲイとともに人類初のエベレスト山頂への登頂を果たしたのです。

エベレスト山(チョモランマ)は標高8848メートル、1920年から30年間、世界各国の大きな登山計画だけでも7回のアタックを受けましたが、ことごとくハネ返してきました。

英国隊も51年、52年とアタックを試みましたが登頂は果たせず、53年に3回目の挑戦が行われていたのです。

8504メートル地点で最終キャンプを設営していたヒラリーは、29日早朝6時半にテンジンとともにキャンプを出発。
英国人2人による最初の頂上アタック隊が失敗したあと、登山家としての実力と体力を備えた2人が、コンビを組み、頂上に挑みました。

無風・快晴で、この日を逃せば登頂のチャンスはないとも言えるような日でした。
氷壁にアイゼンを突き立て、最後の障害に挑戦。張り出した雪庇と岩肌の氷の間にわずかな登山ルートを見つけ出し、消耗する体力と闘いながらアタックすること5時間。
午前11時半、ついにヒラリーはテンジンとともにエベレスト山頂に立ったのでした。

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ヒラリーは、そのときの様子を、
「雪に覆われた平らな場所に向かい登り続けた。到達すると、そこには、何もない空間だけが一面に広がっていた。テンジンとともに驚異の面持ちで周囲を見回していると、途方もない満足感が押し寄せ、われわれが世界の頂上に到達したのだと悟った」
と言っています。

強い意志を持つ「静かなる鉄人」
「基金」を創設して学校・病院建設に尽力

エドモンド・ヒラリーはニュージーランドのオークランド市で生まれています。

小さな頃からアウトドア好きで、「オークランド郊外で初めて雪を見てスキーをした。あの興奮はいまでも忘れていない。私の最大の冒険はあの時のはじめてのスキーかもしれない」と語っています。

「山野をうろつき、いつも冒険を夢見ている友人の少ない少年だった」とヒラリーは言います。
少しでも時間があると山へ通い、冒険家としての身体を鍛え上げ、2万フィート(6600メートル)以上の高峰を11座制し、エベレスト挑戦に参加していたのです。

ヒラリーは、エベレスト登頂後、58年には英国南極横断遠征に参加し、トラクターで南極点に到達。

7年後の60年、ヒラリーはヒマラヤの麓の山村に学校と施設を建てるための「ヒマラヤ基金」を創設しています。
まず、クムジュン村に学校を建設、74名の生徒を迎え入れ、タミ村、ポルツェ村、パンボチェ村に相次いで学校を作り、この基金は現在まで26の学校をはじめ、病院・道路・僧院の建設に関わりました。

「平凡な人間でも冒険に取り組むことはできる。臆病者でさえもそれをやりおおせることを知った」
とヒラリーは、『ヒラリー自伝』の冒頭に記しています。

「何かを成し遂げようとするとき、ヒーローである必要はない。目標に到達しようとする強い意思があればいいんだ」

ヒラリーは『静かなる鉄人』と呼ばれ、2008年1月11日に88歳で死去した際には、祖国・ニュージーランドで国葬が行われています。
遺灰は「オークランドのワイテマタ沖にまいてほしい」、と前からの遺言通り最後の別れを告げました。