ゴールドラッシュの主役たち(2)

最初の百万長者が、味わった「天国と地獄」

いったい誰が儲けたのだろうか

「ゴールドラッシュ」で金を追い求めた人たちには金持ちが現れず、「金を掘らなかった人」に金持ちになる、ということは、いったい何が起こったのでしょうか?

1948年に米国・カリフォルニア州のサクラメント近くの川で砂金が採取された、というニュースが報じられたことから、「ゴールドラッシュ」が始まりました。
ジェームズ・マーシャルという一人の大工が川底で豆粒ほどの砂金を発見したという話がアッという間にアメリカ全土に伝わり、一気に10万人以上の人が一攫千金を夢見て、サクラメントに向かったのです。

「金で当てれば一生楽に暮らせる!」
金が人々を走らせる、という意味ではこれほど大規模に「人々が走った出来事」は他にありません。

ただ、この「ゴールドラッシュ」での面白いエピソードは、数年後にこのゴールドラッシュを振り返ってみたら、金の採掘で財を成した人は一人もおらず、大儲けしたのは「その周辺にいた3人(3組4人)だけだった」ということでしょう。

経済学者の野口悠紀夫先生は「ゴールドラッシュはネットビジネスとよく似ている」と言っていますが、その意味は、本業に体的に関わった人が儲からずに、その周りで知恵を使った人が儲けている、というものです。

では、ゴールドラッシュで儲けた人はどんな人なのでしょうか?

「シャベルとバケツ」で莫大な財をなす

1819年にメイン州ソーコで生まれたサミュエル・ブラナン(Samuel Brannan)が、その一人でした。印刷工として働いていましたが、その後、宗教的な活動で各地を転々と動き、
サンフランシスコに居を構え、船で運んできていた時代遅れの印刷機を利用して新聞『ザ・カリフォルニアスター』を発行したり、小さな商店を開いたりしていました。

2-1 Samuel Brannan

ゴールドラッシュ最初の百万長者となったサミュエル・ブラナン

ブラナンは、ゴールドラッシュが起こった時に、ちょうど30歳。
砂金が発見された土地の所有者であるジョン・オーガスト・サッターとは知り合いでした。
「金が出たことが知れたら、金を求めて、あちこちからヘンな奴らがやって来る。そうなったら、私の土地は彼らの好きなように荒らされてしまう。頼むから、新聞には書かないでくれ!」と哀願したサッタ―の頼みを、ブラナンは聞き入れません。

「金だよ、金なんだよ!」
ブラナンの新聞をキッカケに、ゴールド発見のニュースはたちまちのうちに広がり、人々はサクラメントを目指します。
ブラナンは案内役をしたり、サンフランシスコからサクラメントまでの蒸気船を手配したり、自分の店では、採掘者のための日常品を取り揃えました。

サクラメント郊外で「金が出たぞ!」という話しを聞いたとたんに、ブラナンがとった行動は、金の採掘に走ったのではなく、サンフランシスコで採掘用のシャベルとバケツを、手当たり次第に買い占め、それを、採掘者向けに販売することを始めたのです。

あとは、通りで「アメリカン川で金が出たよ! 金だよ!」と叫べばよかったのです。

なにしろアメリカ全土から、採掘人が集まってきたわけですから、無理やり高い値段で“押し付け販売”する必要などなかったのです。
川底の砂を掘り起こして、バケツに放り込むシャベルも、砂の中から金を選別するために使う、底の浅いバケツ(ゴールド・パン)は、砂金掘りたちにとっては“必需品”だったのですから・・・。

需要と供給の関係で、自然と、シャベルとバケツの奪い合いになり、値段がドンドンと高騰していきます。
1個20セントで仕入れたバケツが15ドルで売れたそうです。実に、原価の150倍の値段でもでも、飛ぶように売れたのです。ブラナンはわずか9週間のうちに3万6000ドルを手にすることになります。

2-2 Samuel Brannan

金の採掘者にとってバケツは必需品

バブルがはじけ、転落の道へ。「名前」は残したが・・・

ブラナンは店舗の拡張、店舗の新設などに積極的に取り組み、サクラメントで “最初の百万長者”と言われるようになりました。
広く土地を買い求め、後には鉄道事業や、カリフォルニア・ワインで知られるナパバレーで、温泉の発見に伴うリゾート開発などに進出しています。カリフォルニア州議会の議員にもなり、現在でも「サムブラナン公園」や「ブラナン・ストリート」という、ブラナンにちなんだ名前が残っています。

ただし、ブラナンがすべての人にいい印象を与えていたかは定かではありません。ブラナンは、開拓者でもありましたが、剛腕な商売人でもあったからです。

当時のサンフランシスコ全体の土地の5分の1を所有する大地主となり、土地ブローカーであり、投資家であり、新聞社オーナー、貿易商・・・、など肩書はヤマのようにありました。
「篤志家」「心の広い人」と言われる一方では、「冷たい人」「最悪の政治家」とも評されていたのです。共通しているのは「アメージング(すごい)!」という形容詞です。

ブラナンの“積極的過ぎる”性格は直ることなく、温泉の出たナパバレーを、米国最大のリゾート地サラトガに匹敵するようなリゾートにしようと考え、『カリストガ(カリフォルニアとサラトガの造語)』と名付けています。
蒸留酒製造所の建設などにも手を染めますが、鉄道事業の負担なども加わって、しだいにブラナンの展開する事業は窮地に追い込まれていきます。そして、とうとう事業家サム・ブラナンは経済的に破綻してしまいます。

ブラナンのバブルがはじけ、一文なし、離婚、アルコール中毒・・・。その後の、ブラナンにはあまりいいことがなかったようです。

こうして、カリフォルニア「ゴールドラッシュ」最初の百万長者の栄華は、はかなく消えてしまったのです。

2-3 Samuel Brannan park

サンフランシスコの「サムブラナン公園」