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〜太神楽(だいかぐら)曲芸師〜 鏡味 味千代(かがみ・みちよ)さん
「太神楽は”おめでたい芸”。このうれしさ・楽しさを
多くの人に伝えていきたいですね!」
広報代理店で、会社員としての日々を送っていたOLが、ふと目を止めた一枚のチラシ。
そこには「太神楽(だいかぐら)、研修生募集」と記されていました。
そこから、彼女の歩く道は大きく変わっていきます。
自分自身のなかに埋もれていた何かが呼び起こされ、追い求めていく世界を見つけたからです。
太神楽(だいかぐら)というのは、江戸時代に獅子舞によるお祓いを中心にした“神事芸能”として広まり、発展したものです。当初は、獅子舞の余興だった曲芸は、時代を経て、寄席への出し物として定着し、「色もの」としての娯楽演芸として現在では欠かせない演目となっています。
英語もフランス語も話す彼女がなぜ、この伝統芸の世界に足を踏み入れることになったのでしょうか?
そして今、きびしい芸の世界に、なにを感じ、どんな夢を描いているのでしょうか?
「この世界に入ってから、やっと自分の人生が始まったという感じがしています」—— 。
“いまを輝かせている人”に聞く、このインタビューの第1回目は太神楽曲芸師、鏡味味千代さんです。
Scene 1 “スケート少女”
──生まれは山梨県だと聞いていますが、味千代さんはどんな子どもだったのでしょうか? 芸人とかエンターテインメントへの憧れは強かったのですか?
もともとは東京生まれなんですが、生まれてすぐ、父が脱サラして山中湖でペンションを始めるために引っ越しをしたので、山梨出身ということに・・・。
山中湖畔の冬はとても寒いので、子どものころにのめり込んでいたのはスケートです。それも、フィギュアスケートではなく、スピードスケートです。
土地柄で、子どもは皆、スピードスケートをやって、その中から“本気”になっちゃう子が、中学校でもスピードスケートを続けるというコース。私も中学3年までスピードスケートの選手をやっていましたから、その頃、身についたのが“負けず嫌い”の性格です。
朝とても寒いので、外へ出るのが嫌だ!と思ったことはありますが、スケートをやめたいと思ったことはありませんでしたね。
いまでもスケートリンクで、手をつないで滑っているのなんかを見ると「それって楽しいのかな?」と思っちゃいます。
このスピードスケートと、その後の柔道で鍛えられたので、いま、太神楽の曲芸で、体力とバランス感覚をかなり必要とするのですが、どうにかこなせているのかも・・・と思います。
──高校生で、フランスに留学されていますね。
もともと“海外志向”が強く、幼稚園ぐらいの時から海外留学したいと思っている子でした。
本当は中学を卒業して海外へ、と思っていたんですが、そのときは反対されて断念。高校性になってからフランス西部のロワール川河畔のナントという都市へ、留学しました。
最初は、日本人もほとんどいませんし、ちょっとイントネーションが違うとフランスの人は言葉を聞きとってくれないので、けっこうつらかった思い出があります。
ただ、このフランス留学が、日本の良さや日本文化の素晴らしさを改めて感じる、いい機会になったと思いますね。
――味千代さんの、子どもの頃の海外志向が、太神楽という伝統芸能へどのようにつながってきたのでしょうか?
フランスに行って感じたのは「日本って、なんていい国なんだろう」ということですね。
日本では、プレゼントをもらえば、たとえ、それが自分に必要でないものでなかったとしても、まず「ありがとう」と言いますし、人が作った料理で、ちょっと変わった味でも、目の前で「ペェー」ってしませんよね。
日本の持っている「曖昧さ」もあながち悪いだけではなく、プラス部分が伝わっていないのじゃないかな、と思います。
実は、大学卒業後、外交官試験に一度挑戦したことがあって、その願いはかないませんでしたが、それは「日本の良さをもっと広めていきたいな」と思っていたからなんです。
父に無理やり誘われて、寄席に行ったんですが、行ってみたら、私のほうが夢中になってしまっていて、普段、大道芸を見ても魅かれることはあまりなかったのですが、伝統文化である太神楽の曲芸が持つ立ち振る舞いを見て、
「自分で、こんなのできるわけないけど・・・」、「太神楽を自分でできたらいいなぁ」と感じたんです。
Scene 2 “転機”
──味千代さんは、なぜ、この大神楽の世界に飛び込もうと思ったのですか?
大学を出た後、広告会社のOLとして働いていたのですが、自分の中では、なにか燃え切らない、うつうつとしたものを感じていたのは確かですね。“迷いの日々”を送っていた、という感じです。
そんなときに、お正月に上野の鈴本演芸場で、太神楽の獅子舞の所作の美しさに魅せられて、「あぁ、こんな芸もあるんだ」と太神楽の芸の奥深さに感動しました。
その帰りに、鈴本の出口のところで、国立劇場の「太神楽 研修生募集」というチラシを見て、「これだったら、一生を掛けてやれるかもしれない」と、勝手に思ってしまったのです。
──その研修生募集に応募して、味千代さんの太神楽曲芸師への道が始まったというわけですね。
いえ、その募集チラシを家に持って帰ってきたのは確かなんですが、応募条件が“23歳以下”となっていたので、「もし若かったら、応募するのに・・・」と思っていました。
なにしろ、もう30歳だったものですから・・・。
「やりたいけど、無理かぁ。方向転換にはやっぱり遅すぎるのかな」
と思ったんですけど、でも、チラシをよく見てみたら、“原則として23歳以下”と書いてあったのです。
そこで、「例外も受け入れてもらえないでしょうか?」と、直筆の手紙を書くことにしたんです。
それで、返事をいただき「もし、応募者が多くて、若い人が応募してきたら希望に沿えないかもしれませんが、それでよかったら、取りあえず受験してみてください」という許可が出たんです。
いわば、例外受験・条件付き合格だったんです。
──よく踏ん切りができましたね。ご両親からの反対などはなかったのですか?
OL時代は、すごいナマケモノで、気が乗らないと動かない、「ホウ・レン・ソウ(報告・連絡・相談)」もロクにできない、ダメOLだったんです。その代わり、もともと好きなことにはすごい情熱を傾ける、というタイプでした。
母は「会社員は向いていないよ」とずっと思っていたらしく、「(太神楽を)やりたい!」と話した時には、「やっぱり、そう来たか!」という感じでしたね。
友だちからも「麻帆(本名:高橋麻帆)は、こんなのやると思ってたよ!」と言われて、自分だけが気がつかないで会社員やってたのかなって・・・。
それに、太神楽へ進むことでアタマがいっぱいになっていたので、私自身が親に話してあるつもりになっていて、国立劇場の養成課へ入学手続きするときに、研修生には未成年の人もいるため親の「承諾署名」が必要だったので
「これ書いてね」
「えッ、これなに?」、って感じだったんです。
──失礼な言い方になってしましますが、ズブの素人から太神楽のプロになるため、研修生としての芸の修業は大変だと思いますが、難しかったこと、つらかったことはありますか?
研修生になって最初に言われたのは「ここはカルチャースク―ルじゃない。仕事にしていかなければいけないんだから、辞めるんだったら早いうちがいい」ということでしたね。
つらいと感じたことはなかったんですが、研修生で、太神楽の同期が3人いたんですが、2人は事情があって辞めざるを得なくなって辞めて行きました。
ですから、この道が好きでも、周りの環境や事情が許さないと「続けて行くのって、けっこう大変だなぁ」と思いました。
──曲芸のワザはどのように体得していくのですか?
実技の研修に入って、バランス芸の稽古では笛をアゴの上に立てることがスタート地点になるんですが、それを「5分立つまでやる」ということを目指し、繰り返し、繰り返し稽古して、そこまでに2週間ぐらいかかりました。
5分立つようになると、次は「笛の穴のところに爪楊枝を差し込む」練習をするんです。つまり、笛を立たせながら別の動作をすることを練習するわけです。
爪楊枝が難なく差せるようになったら、アゴに物を積み重ねてバランスをとる稽古が始まります。
「あッ、できた!」
という感触を、少しずつ少しずつ伸ばしていくという感じです。
右手と左手で違う動きを演じる、というのは最初はぜんぜんできないんです。しかし、それが稽古を重ねていくと、難しい芸でも、
ある日突然、
「神経がつながる!」
っていう感じがする瞬間があるんです。
この感覚はプロとしてデビューした後のいまでも、経験することがあります。数本のバチを投げるジャグリングなどでは、100回連続してやることを目指して稽古しますが、最初の3回が、次は10回。その10回でずっと止まってしまっていたのが、ある日突然20回、30回とできるようになる瞬間があります。その瞬間は、「なにかがつながる!」っていうような不思議な感覚です。
──発表会などで、それまで磨いてきた技を披露する機会は多かったでしょうが、お客様の目の前で演じるというのは、違うものなんでしょうね?
はじめて人前で、芸を披露したときは、それは緊張しましたね。
友だちの結婚式で「余興としてやってほしい」と頼まれて、太神楽をやったんですが、
「おめでたい芸を、しかも、結婚式で、失敗しちゃいけない!」・・・。
緊張しか覚えていないですね。
研修を卒業して、まずは寄席の楽屋に前座として入ることになり、噺家や太神楽の先輩方にもいろいろなことを学ばせていただくのですが、なにしろ33歳の新人です。
噺家の先輩には、当然、年下の方も多く、中には18歳の先輩もいて「オレの学校の先生より年食ってる!」って言われたときには、ちょっとショックを受けましたけどね・・・。
太神楽の芸には、
傘の上へ茶碗や金輪または鞠などを乗せていろいろに廻す『傘の曲』、何本もの撥(バチ)を曲取りする『曲撥』、鞠(まり)でバランスをとったりする『曲鞠』、長竿の上へ板や茶碗を左右に積み上げていく『五階茶碗』など、多種多様な芸がある。
太神楽の研修をはじめてから4年後、高座の裏方として寄席での前座修業の1年間を終え、味千代さんは2011年4月1日に東京・浅草演芸ホールでプロとしての初舞台に立っています。
Scene 3 “恐怖に勝つ”
──太神楽という芸能のルーツはどのあたりにあるのですか?
太神楽(だいかぐら)というのは、もともとは伊勢神宮や熱田神宮の神人(御師)と呼ばれる方々が、神宮から派遣されて全国各地の家々を回り、邪気を祓うための神社のお札を配ったり、村の広場などで余興を見せたりしていたのが原点とされています。すでに400年以上の歴史があります。
とくに“伊勢大神楽”と呼ばれるのは、江戸時代に『お伊勢参り』が流行りましたが、実際に、伊勢へ直接出かけることができない人々のために、伊勢神宮のお札を配り、お布施をいただいたお礼として、お祓いの芸を披露したことによって発展していったと言われています。
皆さんもよく知っている『獅子舞』がその芸の中心で、村の広場で3時間ぐらいの芸をみせるときに、獅子舞などに加えて、『曲芸』を織り込むようになったり、『掛け合い茶番』のような漫才が芸能として発展していったのです。
太神楽は、もともとは“神事”から出発しているのです。
三重県桑名市には太夫村(たゆうむら)というところがあって、そこの人々は神職として、現在でも全国各地を回り、獅子舞や神楽を見せて、「伊勢大神楽」のお札を配ることを天職としています。
神事としての太神楽を演じる人々のなかの一派が江戸に定着し、江戸太神楽となったわけですが、関東大震災や戦災などで家々を回ることがしだいに難しくなり、戦後は、神事としての色はしだいに薄れ、曲芸などの芸能の色彩が濃くなっていき、主に寄席で披露される芸として、現在に伝わってきているというわけです。
かつての伝統を楽しんでいただこうと、このお正月にも、浅草の街で獅子舞と曲芸でお祓い廻りを行いましたが、2月の節分には神楽坂で、お店を回りお祓い廻りを行います。
地下鉄の三越前駅のコンコース壁面には、『熈代勝覧(きだいしょうらん)』と呼ばれる、江戸時代の日本橋の様子を伝える絵巻物が飾られているのですが、そこには「丸一」の屋号で太神楽を演じている風景が描かれているのですが、その「丸一」というのは、鏡味の流派の紋なのです。
──味千代さんはカラオケボックスの中でも芸の練習をしている、と聞きました。毎日が稽古の日々を送っているのですか?
たった3分の芸でも、その裏は「数か月取り組んで、やっと習得した芸」といったものがほとんどなんです。
師匠からもいろいろ指導していただくんですが、「それじゃ、ダメだよ。こうするんだよ」と言われても、その「こう?」がわからない。やっぱり、その部分は、自分で覚えていくしかないのかな、って思っています。
舞台でやっている芸に関しては、いまではもう毎日練習しなくても大丈夫、という段階になっているんですが、新しい芸に関しては、毎日毎日、練習しないと積み上げてきたものが、すぐに元に戻ってしまうんですね。
ただ、曲芸の不思議なところは、仕事が忙しいときに、新しい芸の練習を少し休んだことによって、
「あれっ? できてるよ」、となることがあるんですね。
たぶん、考え過ぎていて、その考えに身体が支配されてしまっていることがあるんですが、それが、休みを置くことによって、その“支配”を逃れて、カベを乗り越えられる。
実はできているのに、「それを、できなくさせている自分がいる」っていうこともあるんだ、と感じますね。
──舞台を見せていただくと、毬(まり)をバチの上で数ミリ動かすという芸もありますが、かなり緊張を強いられる芸だと思います。「心の鍛え方」はどのような方法を採っているのですか?
曲芸を演じているときは、案外、別のことを考えているんですよ。
以前、一度演じている最中に「なぜ、バチとバチの間に毬が挟まっているんだろ?」と考えてしまったことがあって、その瞬間にグラっときましたね。
ですから、(演じているときは)何も考えていないか、まったく別のことを考えているときも多いのです。
太神楽では、プロは「このバチの山が顔の上に倒れてきたらどうしよう」という恐怖心に、まず勝たなきゃいけないんですね。恐怖を感じると、必ず心が揺れます。それを稽古で克服します。
ジャグリングですと、「100回続けて取れるようになろう」と何度も練習しますが、最後の50回くらいは精神力の勝負みたいなもので、ちょっとでも動揺すると落とします。そこを何度も何度も稽古するので、自然と心が鍛えられている感じです。
その点では、心を磨くという意味で、やはり“神事”というのを実感することがあります。
稽古していて、ずっとできないと何か自分の中の“黒いもの”が出てきてしまう感じがするんですよね。
「なぜ、できないんだろう」、「昨日、イヤなことがあったから」、「あんなことしなきゃよかった」・・・。
それを、我慢して我慢して超えることができたときに、スーっと晴れた光景が見えてきますね。
この境地は、スポーツの時には感じることができなかったものです。
Scene 4 “幸せの伝播”
──芸人として、気をつけていることはありますか?
やはり、身体が資本なので、そこにはかなり気を使っています。
「腕相撲しようよ!」と言われても、それは絶対しません。腕を痛めてしまったら、大事(おおごと)になっちゃいますから。
──「芸」への意欲をかき立てられる言葉や場面はありますか?
いちばん意欲をかき立てられるのは、実は「受けなかったとき」なんです。
「あぁ ダメだった」と思うと、「次は間のとり方を工夫してみよう!」と思ったり、「一生懸命、稽古しよう!」と思ったりします。
私の中でとても貴重な経験となったのは、大震災から5ヶ月後の8月に、岩手県の陸前高田市に、先輩二人と公演に行ったときのことです。
避難所になっている中学校の体育館で 30人ほどの人に太神楽を観てもらったのですが、「おめでたい!」とか「ますます商売繁盛!」といった言葉は使えないので、「どうしよう、どうしよう?」と思いながら、中途半端な気持ちで公演してしまったのです。
私も不完全燃焼でしたし、観ていらっしゃったお客様にもそれがわかってしまったんです。そのときは、すごく落ち込んでしまって・・・。
そこから、「自分だけで芸をしていちゃダメなんだ」と思い、「お客様と、もっと目を合わせて」、「言葉を交わして」といったことを心掛けるようになりました。
10月、11月に再び東北の被災地で何回か公演をさせていただいた時には、「幸せが積み上がっていきますように・・・」と言って、すごく喜んでいただきました。
やはり、太神楽はおめでたい芸ですし、人に喜んでいただく芸なので、「なにか、あたたかい気持ちになったよ」とか、「今日は何かいいことありそうだ」とか言っていただくとうれしいですね。
自分の気持ちがちょっとでも揺れると、バチの上から毬を落とします。その逆に、太神楽で、自分が100%のパフォーマンスをみせ、ちょっとでも人がうれしい気持ち、幸せな気持ちになってくれれば、それがまた、次の人に伝播していくんじゃないかな、と思っているのです。
──これからの「夢」は何でしょうか?
私は、この仕事に入ってから「やっと、自分の人生が始まったな」という感じがしているんです。30歳からのスタートでしたが、逆に、そこから始めたからこそ、伝えられるものがあるかもしれません。
伝統芸の太神楽ですが、技の名前は少し、自分なりにアレンジして呼び名を変えたりしています。『五階茶碗』の芸の中でバチの上に毬と毬を重ねる芸では、若いお客様の時には“縁結び”と言ったり、小学生では“オダンゴ屋さん”という風に・・・。
将来的には、私しかできない太神楽の曲芸に挑戦してみたいと思ってはいるんですが、師匠からは「まず、ひと通りの芸の習練を積んでからだな」と言われているので、ひとつひとつ目の前の課題をクリヤーしていこうと思っています。
あと、いずれは、海外での太神楽の公演もやってみたいと思っています。
できれば、そのときには『紙切り』とか、日本の伝統的な手品である『和妻(わずま)』といった芸と組んで行ければ、言葉がわからなくても通じますし、大人から子どもまで楽しめます。海外のお客様にも、日本の伝統芸能の良さを伝えることができるかもしれませんね。
(文責:編集部)
Information
プロフィール&データ──────────────────────
鏡味 味千代 (かがみ・みちよ)
プロフィール:
1976年生まれ。高校在学時フランス留学を経て、2000年3月 国際基督教大学 卒業、07年3月 0L卒業、同年4月 国立劇場第5期神楽研修開始、2010年 同研修卒業、ボンボンブラザーズ 鏡味勇二郎に弟子入り。
2010年4月 落語芸術協会にて前座修業、同年5月 国立演芸場「大演芸まつり」にて初高座、同年12月 文化庁タイ公演に参加。
2011年4月 浅草演芸ホールにおいて寄席デビューを果たす。
○所属:落語芸術協会〔http://www.geikyo.com/〕
太神楽曲芸協会〔http://www.daikagura.org/〕
○師匠:鏡味 勇二郎
○特技:英語、フランス語、柔道初段
○趣味:川遊び(カヌー)、温泉、日本酒
○ブログ:味千曜日〔http://ameblo.jp/daikagura〕
カテゴリ: ビジネス・マネー