「どんな未来がおとずれようと、僕は恐れない」

ゲイリー・クーパー

Gary Cooper

(1901年5月7日生まれ)

アルバイトのエキストラから映画の道へ
「強さと善良」を体現し、世界中にファンを持つ

ゲイリー・クーパーという名前を聞くと、古き洋画ファンは誰しも「大きくて、善良なアメリカン・ヒーロー」をイメージします。クーパーは190センチメートルの身長、風格を備え、控えめな性格で愛され、ハリウッド黄金時代を代表するビッグスターでした。

クーパーはモンタナ州へレナの牧場に生まれています。
両親は英国人移民で、父は牧場主で判事、母は教育熱心で、9歳のときには英国で3年間、厳しい英国式の教育を受けさせられたほどです。

ネオン広告のセールスマンをしていたのですが、無愛想すぎて客が取れず、23歳のときに友人に誘われて、アルバイトで映画のエキストラを演じたクーパーは、それがキッカケで映画の道に入っていきます。
2年ほどB級の西部劇のエキストラとして活動したあと、『夢想の楽園』で大役をつかみ、その後はトントン拍子でスターの座に上り詰めていきます。

1930年にはドイツから鳴り物入りでハリウッドへやってきた女優マレーネ・ディートリッヒと『モロッコ』で共演。
この映画は、日本でも人気となり、1931(昭和6)年の『キネマ旬報』の外国映画第1位となっています。この『モロッコ』の映画公開予告ポスターでは、げいりー・クーパーの名前は、ディートリッヒの下に活字を小さくして入れられていたのですが、女性層から抗議の手紙が配給会社のパラマウントに送られ、あわてて二人の名前を同格扱いにしたポスターが制作されたというエピソードが残っているそうです。

クーパーは、1941年には『ヨーク軍曹』で1回目のアカデミー主演男優賞を受賞、1943年には親友であったアーネスト・ヘミングウェイが、クーパーを主人公としてイメージして書き下ろしたといわれる『誰がために鐘は鳴る』に主演します。

印象的だった『真昼の決闘』のケイン保安官
2度目のアカデミー主演男優賞を受賞

クーパーの映画で、誰しもがその代表作としてあげるのは『真昼の決闘(原題:High Noon)』です。

西部の町にやってくる4人の無法者に一人で立ち向かうケイン保安官。
実際の時間の経過と映画の時間をシンクロさせ、緊張感を高めていくフレッド・ジンネマン監督の手法もさることながら、クーパー扮するケイン保安官を通じて、人の恐怖心・孤独感・勇気を描いた人間ドラマ作品として、画期的な西部劇となっています。

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クーパーはこの『真昼の決闘』で2度目のアカデミー主演男優賞を受賞し、共演のグレース・ケリーは大女優への道を歩み始めます。

クーパーは、洗練されたと言うよりは、むしろ少し泥臭く、誠実な人柄で人気が高まったと言えるかもしれません。聞き上手で、「そうかい」「本当かい」「そんな話初めて聞くよ」、とこの三つ、それだけでもてたらしいと言われています。

1957年、クーパーは56歳のときに、ビリー・ワイルダー監督の『「昼下りの情事』に出演、オードリー・ヘップバーンと共演。正義派のイメージとは異なり、調子のいいプレイボーイでありながら、オードリーに振り回されていく、という役を演じています。

1961年、ハリウッドで映画生活35年の功績を称えるパーティで、オードリー・ヘップバーンらから賛辞を送られたクーパーは「私は世界一幸せな男です」と挨拶したのですが、そのときすでに、クーパーの身体は前立腺がんに冒されていたのです。

病状がしだいに悪化し、周りの人たちの不安が高まっていった時にも、

「どんな未来がおとずれようと僕は恐れない。だから、元気を出しなさい」

と、逆に元気づけていたとも言われています。

そして同年5月、重態に陥ったクーパーのもとには、ケネディ大統領、エリザベス女王をはじめ、全世界から見舞いの電話や電報が殺到したそうです。
「私はすべてが神の意思であることを信じています。心の安らぎを得ております」というのが、クーパーが新聞紙上に発表した見舞いへのお礼の言葉でした。

ハリウッドでの35年間に89本の映画に出演したゲイリー・クーパーは61歳で静かな眠りについたのでした。
クーパーの墓は、ニューヨーク州サザンプトンタウンにあるそうです。

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