ツタンカーメンの謎はどこまで解き明かされたのか (3)

王墓に「隠し部屋」はあったのか? そこに眠っているのは果たして誰?

 ツタンカーメンは考古学研究テーマのスーパースターと言えるでしょう。それは、王墓の発見から100年近く経った現在でも、「解き明かされない謎」を次々と提供してくれるからでしょう。

ツタンカーメン王墓の「隠し部屋」をめぐる謎もそのひとつです。

当初「90%存在する!」とされた“隠し部屋”。そこに眠るのはいったい誰なのか?

2015年7月、ツタンカーメンの墓に関する「ビッグニュース」が世界を駆け巡りました。

それは、エジプト学者として名を知られていた英国人のニコラス・リーブス氏が、

「ツタンカーメンの墓の玄室の奥に、まだ知られていない“隠し部屋”が存在する。それは、いまだ発見されていないツタンカーメンの継母であるネフェルティティの墓である可能性がある」

という自説を発表したからです。

「玄室」というのは、ツタンカーメンのミイラが埋葬されていた、王墓の中心です。
リーブス氏は、その玄室の壁を詳細に描き出したサーモグラフィによるスキャンの結果を分析していましたが、「北と西の壁に描かれた絵の下に入口のようなものがあることに気づいた」というのです。

「隠し部屋」の発見を説明するニコラス・リーブス氏。

「隠し部屋」の発見を説明するニコラス・リーブス氏。

資料:英国の『テレグラフ』誌より。
The Telegraph:http://www.telegraph.co.uk/

ニコラス・リーブス氏が描いた「隠し部屋」の想像図

ニコラス・リーブス氏が描いた「隠し部屋」の想像図

11月に入ると そのリーブス氏の説に協力するかたちで、日本人のレーザー技術者・渡辺広勝氏によるレーザー・スキャンが行われ、渡辺氏は、自身が持ち込んだこの機械の分析によって「有機物と、あと、金属製のモノを感知した」と報告したのです。

期待が高まります。
当時、エジプト考古大臣を務めていたマムドゥフ・アル・ダマティ氏が記者会見で

「”隠し部屋”が存在する確率は90%」と発表したからです。

しかも、もし隠し部屋に、ツタンカーメンの継母であるネフェルティティが眠っていたとしたら……。

ネフェルティティというのは「美しいものが訪れた」という意味を持っていますが、その名前のように“絶世の美女”だったと言われています。しかし、「謎の部分」も多く、ツタンカーメンの父であるアクエンアテンの死後、一時、王位(ファラオ)の地位についていたという説があります。

古代エジプト三大美女の一人といわれるネフェルテイティ

古代エジプト三大美女の一人といわれるネフェルティティ

しかし、古代エジプトで女性の地位がどのようなものだったかは、いまだ明らかになっていないため、「ネフェルティティは女性でありながら、男としてファラオの地位にあった」という説さえあるのです。

ツタンカーメンの王墓の奥に「隠し部屋」。しかも、謎の美女・アクエンティティが現われるかもしれない・・・となれば、まさに「歴史上の大発見のひとつ」になることは間違いなかったのです。

事態は一変。詳細なレーダー調査で「何ら痕跡は発見されない」との報告。

ところが、2016年になって事態は急変していきます。

3月に、数多くの探検や調査プロジェクトに資金提供を行っている『ナショナル・ジオグラフィック協会』が2人のレーダー技術者を現地に送り込み、綿密なスキャン調査を行った結果、発表された分析結果は、ニコラス・リーブス氏が発表したものとは大きく違っていたものでした。

違っていたというより、むしろ、まったく反対の分析結果で「隠し部屋らしい痕跡は何ら発見されない」というものだったのです。

エジプト学の権威ある研究者で、元考古大臣のザヒ・ハワス氏は、

「もし、何らかの石造物や隔壁があるなら、レーダーが映し出すはずです。しかし、そんなものは見えません。つまり、何もないということです」

と言い切ったのです。

「何ら痕跡も発見されない」と発表したザヒ・ハワス氏

「何ら痕跡も発見されない」と発表したザヒ・ハワス氏

これを受けて、アル・ダマティ氏の後任として考古相の地位に就いていたカーレド・アルル・アナニ氏は、4月1日、王家の谷で記者会見を開き、「私から伝えたいことは、科学がすべて教えてくれるでしょう、ということだけです」と発言しました。

以前、渡辺氏がレーダー・スキャンした画像の一部が公開されたのですが、これに対しては多くの科学者が「(画像には)何も見えない」と指摘。
「レーダーでは有機物などの判明はできないはず」との声も上がったのです。
とくに、地球物理学者で、レーダー分析に詳しいディーン・グッドマン氏は「隠し部屋の証拠は何も見つかっていない」と結論付けたのです。

多すぎる「謎」。 ツタンカーメンを巡って、いったいどんなドラマがあったのでしょうか?

もし「隠し部屋」があれば、ツタンカーメン自身の謎が少しは解けるカギがあったかもしれません。謎の美女・ネフェルティティに会えれば面白かったのですが、その期待はどうやら裏切られてしまったようです。

それにしても、ツタンカーメンを巡っては、さまざまな憶測が生まれ、期待が膨らみ、次には「しぼみ」……といったことが繰り返し起こっています。それだけ、歴史的にも、考古学的にも不可思議なことが多すぎることからなのでしょう。

系図はなく、歴史的な資料にもその存在が記されていないファラオ・ツタンカーメン。
19歳の若さで急死してしまった王。その死因は不明。
なぜ急死したファラオに王墓を用意することができたのか? もしかしたら、だれか他の人のために用意されていた墓に、ツタンカーメンが併せて埋葬されたのか?
そんな「間借り」みたいに埋葬することが古代エジプトにはあったのか?

「王家の谷」はいまもその全貌がわかりません。
ツタンカーメンが生きていたその時代に、王位の継承、血をめぐる争い?に、いったいどんなドラマがあったのでしょうか?

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