ゴールドラッシュの主役たち(3)

輸送・金融サービスの “開拓者”になった2人

砂漠、草原を突っ切り、“駅馬車”が行く

事業家サミュエル・ブラナンが店舗を拡大し、百万長者への道を入っていた同じころ、へンリー・ウェルズとウィリアム・ファーゴという二人組が始めたビジネスも、モテモテでした。

アメリカ全土からカリフォルニアに集まってきた採掘者は、採れた金(といっても、一人一人は少ない量)をおカネに換えながら生活し、金を探すという生活を長く続けていました。
全米各地から、“働き手”が集まってきていたわけですから、コツコツと稼いだお金を預けておく銀行が必要でしたし、故郷で待っている家族に「仕送り」のおカネを送金することが必要でした。そして、家族へ送る手紙、家族からの励ましの便り、荷物の受け渡しなど・・・、採掘者が求めているのは「情報」であり、「物流」だったのです。

そこで、ウェルズとファーゴは、米国でも初めての「安全・確実な送金・輸送のシステム」を作ったのです。
一攫千金を狙って出稼ぎに来ていたフォ?ティナイナーズのために、現金などを保管したり、家族に送ったりする、いまで言う“宅急便”の他に“銀行・貸金庫”、“金の換金”といった金融業を二人で始めたというわけです。

案の定、この輸送・送金システムは採掘者の大人気をよび、ウェルズとファーゴがつくった会社はドンドンと大きくなっていきました。

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ウェルズとファーゴの二人

当時の輸送手段としては、鉄道をすぐに敷設することはできませんから、もっぱら“馬車”です。当初、ウェルズ・ファーゴ社は、自前の馬車は持つことができませんでしたが、この輸送システムが人気を呼び始めると、すぐに、他の駅馬車会社を買収し、自社で馬車便を運営するよう?になります。そして、 6頭立ての馬車の横には『Wells Fargo』という文字を刻み、大陸横断というコースまで作ります。そう、西部劇などに登場する駅馬車が、ウェルズ・ファーゴの最初の大事業だったのです。

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「輸送・物流」の核となった駅馬車

電信技術の“送金システム”を創り、金融業の基礎を築く

当時、サンフランシスコからニューヨークまでは、どんなに駅馬車をすっ飛ばしても2週間以上かかりました。現金、手紙、荷物を積みながら、砂漠、草原、街道などを突っ切っていきますが、途中、数々の危険が待ち受けています。
そこで、ウェルズとファーゴの2人が考えたのは、普及しはじめていた“電信(テレグラフ)”を使って、送金する、というシステムです。

このウェルズ・ファーゴ社の電信取引は、あっという間に「お金が送れる! しかも安全に!」ということで全米各地に広がります。
送金・決済という、従来は現金を運んで、取引するしかなかったところに電信技術が加わり、ウェルズ・ファーゴ社の金融業務はドンドンと成長していきます。

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電信システムの金融業が生まれた

いまや、ウェルズ・ファーゴはカリフォルニア最大の金融機関であり、全米第4位の銀行です。そして、その間、世界初の「年金運用インデックス・ファンド」開発、世界で2番目の「トラベラーズ・チェック発行」を経て、1900年代の半ばには、アメリカンホテル組合のクレジットカード業務を買収し、プラスチック製のクレジットカードを発行します。これが、現在の「アメリカン・エキスプレス」の源流となるのです。

1840年代?50年代へのゴールドラッシュの時代に、輸送、金融という分野で開拓者となったウェルズとファーゴは、その後も、次々と利用者の歓迎されるサービスを提供するということを止めませんでした。その歴史は、ロサンゼルス、サンフランシスコなど全米11カ所の『ウェルズ・ファーゴ博物館』で見ることができます。


・ウェルズ・ファーゴ博物館

http://www.wellsfargohistory.com/museums/index.html

・野口悠紀雄:著 「ゴールドラッシュの『超』ビジネスモデル」