山吹色のゴールドに翻弄された時代と人。「金」にまつわる話題は尽きず…
金目鯛
ゴールドラッシュの主役たち(4)
ゴールドの採掘現場から ジーンズスタイルが生まれた!
ドイツ移民の子が開いた雑貨商店で売っていたもの
1849年、米国のカリフォルニア州のサクラメントは「ゴールドラッシュ」で沸き返っていました。全米から我先にと駆けつけた金の採掘者(「フォーティナイナーズ」と呼ばれた)は、一攫千金を夢見て日夜、砂金採りに明け暮れます。
ただ、このゴールドラッシュの周りで大儲けをしたのは、採掘用のシャベルとバケツを売ったサムエル・ブラナンと、送金・輸送・郵便のサービスを開始したウエルズとファーゴという二人組だった、という話は前回しました。
もう一人、このゴールドラッシュによって財を成した人がいます。ドイツ移民の子で、雑貨商を営んでいたストラウスという人です。
ストラウス一家は、ゴールドラッシュ全盛の1853年にサンフランシスコやってきました。着くやいなや、すぐさま採掘ワーカー向けの雑貨商店を開きます。日用品、食料品、何でも扱います。
なかでも、売れたのはドライフルーツ、ドライフーズでした。
なにしろ、金の採掘ワーカーたちは朝から晩まで「とにかく少しでも多くの金を見つけ出さなければ・・・・」と採掘に励みます。食事は短時間で済ませなければなりませんし、そのなかで重労働に耐える体力を保つためには「栄養価の高い食べ物」が必要だったのです。
それには、栄養の凝縮したドライフルーツ(乾燥果実)やどこでも食べられるドライフーズが最適だったのです。
ストラウスのドライフーズはたちまち大人気となったのです。
デニム生地の丈夫なズボンを作ったリーバイ・ストラウス
作業用に耐久力の高いデニム・パンツ
ストラウスは次を考え出します。
採掘ワーカー向けにテントなどに使われていた厚手のデニム生地(キャンバス生地)を使って丈夫なズボンを作ったのです。
ニューパンプシャーからデニム生地を仕入れ、それを元に、採掘ワーカーの手荒い労働にもやぶれない、動きにも耐える頑丈なパンツを開発したのです。そう、それは「ジーンズ」と呼ばれるもので、「Gパン」とも呼ばれるパンツでした。
もうおわかりかと思いますが、ストラウスとはジーンズ・ファッションの生みの親といわれる「リーバイ・ストラウス」なのです。
リーバイ・ストラウスはデニム生地を販売したり、パンツに仕立てて販売したりしていましたが、ゴールドラッシュから5年後に、ネバダ州リノで洋服店を営むジェイコブ・デイビスから手紙を受け取ります。
それは「ズボンの縫い目の破れやすいところに金属鋲(びょう)を打つ」というアイデアでした。デニム生地パンツのポケットの縫い目を金属の「リベット」で補強してみると、丈夫さが格段に向上します。ストラウスはデイビスの協力を得て、「リベテッド・パンツ」を考案するのです。
ポケットの両端にハンマーでリベットを打ちつけ補強しておけば、耐久性に優れ、ポケットに重い工具を入れてもやぶれません。それまでの欠点であった「縫い目のところからほつれやすい」という点を解決した画期的な商品だったのです。
リーバイ・ストラウスとデイビスはこの「リベットつきジーンズ・パンツ」の特許を申請し、サンフランシスコに工場を建設し、大量生産に踏み切ります。もちろん、採掘ワーカーだけでなく、作業用のズボンとして、この丈夫なパンツは大評判となりました。
金の採掘スタイルはジーンズファッションの原型
ゴールドラッシュが残した教訓
ジーンズは、いまや作業着というだけでなく、カジュアル・ファッションでは欠かせない定番商品として世界中で愛用されていますが、「リーバイ・ストラウス社」はその代表的なメーカーとして100カ国以上でビジネスを展開しています。
その源流がゴールドラッシュにあったのです。
最初の製品である「リーバイス501」は伝説の商品になっており、ワシントンのスミソニアン博物館に展示されており、希少性のあるビンテージものになると100万円以上するものもあると言われ、復刻版でさえ数万円しています。
伝説となった「リーバイス501」
ゴールドラッシュは、結局は、採掘ワーカーでは巨万の富を築いた人は出ずに、その多くは経済的に破たんしたといわれています。
その一方で、金採掘には直接手を出さずに、その周辺ビジネスを開発した人が勝利者となってしまったのでした。
ゴールドは金は多くの人を走らせます。その輝きが持つ魅力が人を引きつけ、時には人間の大きな夢を乗せ、時には欲望を刺激していきます。そして、過去のゴールド・ストーリーは現代に多くの教訓を残し、いまも生き続けているのです。
カテゴリ: 歴史