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いま、『菜根譚』が生きにくい世を「楽に、ゆるく」生きていく知恵を教えてくれる!
人の心は枯れない! いい刺激があればまた動き出す!
日々ストレスがたまり、窮屈な生活が続いています。コロナ疲れで、心が「いっぱい、いっぱい」になってしまいそうなときもあります。そんなときに役に立つのが中国の古典の書『菜根譚(さいこんたん)』です。

「気が滅入る」、「ストレスが溜まってしょうがない」、「もう、我慢なんかできないよ」、「生きることがイヤになってくる」……、というようなとき、この『菜根譚』に記されている言葉が少し気分を変えてくれます。「楽に行きなよ」と言ってくれたり、ちょっとだけ「励まして」くれたり、「そこは踏ん張らなきゃ」とアシストしてくれるのです。
「困難に出会わない人など 一人もいない」
と、『菜根譚』は教えてくれます。
そうです、そうですよ。人生で、ずっとずっと「悩みなく生きてこられること」なんかははないのです。誰でも、必ず、どこかではカベにぶつかったりしていますし、「どうしたらいいんだろう」と思い悩むものなのです。
いま、ともすれば「なんで自分だけ、こんなヒドイ目に遭うのだろう」、「俺ばっかりが苦労している」と思ってしまうかもしれません。でも、そうではないのです。世の中に苦しいと思っている人、「こんなの解決できないよ」と思っている人は、ほかにもたくさん、たくさんいるのです。
人の心が枯れ切ってしまうことはない!
いい刺激を見つければ、また動き出す!
「見るべし、性天いまだ常には枯れず、機神(きしん)もっとも、よろしく触発すべきを」(菜根譚・後集90項)という言葉があります。
これが意味するところは「人の心というのは、枯れ切ってしまうことはないのですよ。いい刺激さえあれば、人は再び生き生きとした活力を取り戻すことができるのです」、というものです。
いま、メディアなどには暗いニュースがあふれ、気も沈みがちになるかもしれません。でも、仕事でも生活でも、日常の中にいい刺激をひとつ見つけ、明るい話題・光景を感じることができれば、人の心はまた生き生きと動き出すものです。

無理することなく、自然体で生きる
「恬淡(てんたん)」の域を目指そう
『菜根譚』は中国の「生き方指南の書」と言ってもいい書です。
何と言っても「押しつけがましくない」、「教えてやろう式ではない」のがいいのです。
「ちょっとユルイ」ので、気楽に受け入れることができるのです。
この菜根譚の中に、「恬淡(てんたん)」という言葉が出てきます。
「恬淡、おのれに適して、ひとり醒むるを誇らず」という一文です。
この「恬淡」というのは、「心にわだかまりを持たず、いたずらに欲を出さず、安らかな心持ちに身を置く」という意味です。
つまり「自分のペースを守って、淡々と日々を過ごし、さりとて、そのことを自慢しないのがいいのですよ」と示してくれるのです。
いまの時代、価値観が多様化し、口では「人それぞれの個性を尊重しましょう」と叫ばれている割には、人様の生活などを気にしすぎている面も多くありませんか。
恬淡の境地は、けっして「枯れる」とか「無関心」「自己中心的」なのではなく、「心穏やかに、マイペースを守っていく」というものだろうと思います。
剣道や柔道などの武道で言えば、“自然体”の構え。肩ひじのこわばりを抜いて、スッとした姿勢で、あんまり周りを気にせずに……、といったところでしょうか。
「信念は必要だけど、信念をムキ出しにする必要はないんですよ」と『菜根譚』(前集98項)は言っているのです。
大事なのは「絶対に人生を投げ出さない」こと
明るさはいつも暗闇の中からやってくる!
世界全体が、新型コロナ感染という陰に包まれてから、1年以上も経過してしまいました。その本当の出口がなかなか見つかりません。日本でも、いろいろな仕事、ビジネスに携わっている人、主婦、学生、大人から小さな子供まで、我慢を強いられ、窮屈で、不便な日常生活を送っています。
でも、『菜根譚』では 「絶対に、人生を投げ出しちゃいけませんよ」と知らせてくれます。
「恩裡(おんり)に由来害せず。故に快意の時は、すべからく早く頭をめぐらすべし。敗後に或いは反って功を成す。故に払心(ふっしん)の処は、便(すなわ)ち手を放つことなかれ」
人間は良くも悪くも思い込む生き物なのだと思います。絶対にやってはいけない思い込みの一つに、起こり得る最悪のできごとばかりを想像し「私の将来は、こんな未来しか待っていない」と勝手に決めつけて、人生を投げ出してしまうことです。
こういって言るのです。
人生は奇跡の連続で、助けてくれる人も現れます。でも、うつむいてばかりいるとその存在に気づきません。自分から助けを求めることも素晴らしい行為です。絶対に人生を投げ出さないこと。これが先人からの貴重なメッセージです。
失敗した後で成功のきっかけをつかむこともあります。苦難の後で、新しい開けた道が見えてくることもあるものです。だから、八方ふさがりの状態になっても、あきらめて投げ出してはならないのです。
糞の中の虫はこの上なく汚いが、変態して蝉となり白露を秋風の中で飲む。腐った草には光などないが、変化して蛍になると、美しく清らかな光を夏の月夜に輝かせる。これらからわかることは、
「清いものは常に汚れたものから出て、明るさはいつも暗闇から生じるということだ」
と菜根譚に出てきます。
わかりやすく言えば「止まない雨はない、明けない夜はない」というところでしょう。
実業家、スポーツの指導者などにも多くのファン
リーダーにも、働く人にも効く「心のワクチン」
「身は是れ我ならずと知らば、煩悩も更に何ぞ侵さんや」と『菜根譚』は言います。
「身体は自分のモノではありません。天からの借り物なのかもしれません。そのことに気付けば、それ以上に煩悩で苦しむことは無くなるのです」
菜根譚(さいこんたん)は、中国の古典の一書物です。
前集222条、後集135条からなる中国明代末期(400年ほど前)のものであり、主として前集は人の交わりを説き、後集では自然と閑居の楽しみを説いた書物です。
この『菜根譚』を描いたのは。明時代末の人、洪自誠(こう・じせい)という人ですが、その詳しい経歴はよくわかっていないのです。優秀な官僚として活躍したのち、政争に巻き込まれ苦渋の中で隠遁した人という推測もありますし、『菜根譚』に関する本を多く出している守屋洋先生によれば「若い頃“科挙”の試験に合格して官界に進んだが中途で退き、もっぱら道教と仏教の研究に勤しんだ」とも解説されています。

『菜根譚』そのものは、中国では、あまり重んじられず、かえって日本の金沢の藩儒者「林蓀坡(そんぱ)」(1781年-1836年)によって文化5年(1822年)に刊行(2巻、訓点本)されたことにより、禅僧の間などで盛んに愛読されてきたと言われています。
日本では、実業家やスポーツ選手・監督などに人気が高く、これまでも、川上哲治、松下幸之助、五島慶太、田中角栄、野村克也、吉川英治……といった人たちが愛読書として挙げてきています。
菜根(さいこん)というのは野菜の根のことですが、「堅くて筋が多い。これをかみしめてこそものの真の味わいがわかる」という意味から『菜根譚』という書名がつけられた、と言われています。
「人間関係が難しいのは、昔からあったこと」、「逃げることは悪いことじゃありません、時にはズルくたっていいんです」、「才能やスキルはそんなに大事なことじゃない。大事なのは“人格”ですよ」……。
”コロナ疲れ”から自分で自分を解放してあげよう
心に無理をさせないで、ダメ意識を 追い払ってみよう!
まだまだ『菜根譚』は知らせてくれます。
「人間の心は自然と同じで、雷雨の時もあれば、そよ風の時もあります」
「古くからの友人とは、常に新たな気持ちで付き合いたいものです」
「その“ダメ意識”こそ追い払うべきものなんです」
「休息してリラックスするのも“仕事”のうちです」
「“返答”の仕方一つで、人間関係はガラリと変わるものです」
「心を無理に清くすることはない。濁りを除けば自然と清くなるんです」

『菜根譚』は前集222条、後集135条もありますから、「これって、前にいってることと矛盾してませんか」と思うところもあります。
でも、それがいいのです。人生は矛盾だらけなのですから……。
「少し行き詰まったかなぁ」と思ったとき、ちょっと『菜根譚』を手に取ってみましょう。
様々な解説書も数多く出ています。
※なお、『菜根譚』原文は難しい漢字などが多く出てきますので、ここでは現代語に勝手に訳して載せていることご了承ください。
参考図書:
守屋洋著『菜根譚の言葉』(PHP)
祐木 亜子『中国古典の知恵に学ぶ 菜根譚』(ディスカバー・トゥエンティワン)
中村 璋八 (翻訳), 石川 力山 (翻訳)『菜根譚』 (講談社学術文庫)