『伝説の相場師』、勝ちへつなげる思考パターン(2)

ジェシー・リバモア (Jesse Lauriston Livermore)
『ウォール街のグレート・ベア』と呼ばれた投機王
その波乱万丈の生涯

投資や商品先物取引の世界には、歴史上、古今東西で「達人」と呼ばれる人が何人か存在します。しかし「王様」と呼ばれる人は多くはいません。ジェシー・リバモアは相場に対する哲学・行動などから、「スペキュレーター・キング(投機の王様)」という称号を与えられている人なのです。

 人が相場師に期待するイメージに「波乱万丈」、「天国と地獄」があるならば、リバモアこそ、その期待に十分すぎるほど応えられる人物といえるでしょう。

livermore top

 

「算数」得意の少年がつかんだ相場の法則
大暴落の見越して「売り」で儲ける

 ジェシー・リバモアは株価をボードに書き込む一介のチョークポーイから身を起こし、「大富豪になること4回、破産すること4回」という、波乱の相楊師人生を歩んだのです。

 1929年10月24日の木曜日、ニューヨーク株式市場が未曾有の大暴落に見舞われたときには、すでにその半年以上も前から用意周到な「売り」を仕掛け、その取引は株数で100万株、1憶ドルを超えていました。

livermore annkoku

「暗黒の木曜日」、株価の大暴落でニューヨーク証券取引所に集まった人々=AFP時事

 ニューヨーク株式市場が一瞬のうちにその時価総額の三分の一以上を失い、数え切れない数の証券会社と投機家が奈落の底へ突き落とされた「暗黒の木曜日」。その際に、リバモアは大暴落によって膨大な利益を手にしたのです。

 彼は巨大なる売り手(ベア)という「グレート・ベア」呼ばれたのです。

livermore wallgai

「ウォール街のグレート・ベア」と呼ばれたリバモア

株式相場大暴落の際に、膨大な“売り”を浴びせ、暴落最初の一日で100万ドルの利益を得て、市場の命運がリバモアの動向ひとつに左右される事態に陥ったことがありました。

たまりかねた銀行家J・P・モルガンはリバモアに密使を送り、「これ以上、市場を痛めつけないでくれ」と懇顛したほどでした。

 チョークポーイから「知恵」でのし上がる
「雑然とした数字の中にある規則性」

 リバモアは1877年にマサチューセッツ州シュールズベリーの貧しい農夫の家に生まれています。

 14歳のとき、家出同然でポストンに出て、「算数が得意」だったことが幸いしてチョークボーイの仕事にありつきました。

livermore-2

「チョーク・ボーイ」として働いていく中で、リバモアは「ある規則性」を見つけるのです。

来る日も来る日も、株価をボードに書き込む仕事の中で、リバモアは「雑然とした数字のなかに、ある規則性がある」ことを発見し、繰り返しの傾向が、ある波形を描くことを見つけるのです。

 それが、リパモアの投資戦術の原点になるのです。

 16歳でバケットショップ(民間の株取引の取次店)に通いはじめ、株取引で1000ドルを手にし、20歳でニューヨークに現れたときには、その資金は1万ドルになっていました。

しかし、リバモアは連戦連勝を重ねていったわけではありません。多くの投資家が「買い」で儲けるのとは違い、リバモアの得意戦法は「売り」です。

そのため、「売り」から入り巨額の利益を上げていくリパモアの名は、ニューヨークでもすぐに知れ渡ります。
ただ、その一方で、大きな損失をかぶることもあり、大儲けと破産を繰り返します。

 リバモアの動きに、世間は多くの注目の目を向けます。

何しろ、身長178センチメートルのリバモアは大都会の紳士然とした格好を好み、特別オーダーのダークスーツを着て、プロンドの髪をなびかせ、移動の足はロールスロイス。

イヤでも目立つ格好です。

livermore-1

 「株式」「商品」へ、リバモアの投資対象は広がっていきました。

リバモアは株式投査が中心でしたが、ときに商品にも投資対象を広げ、綿花、小麦、トウモロコシなどへの投査も行なっています。

 まず「小口の打診」から入る
大儲けができるのは相場が大きく動くとき

 リパモアの投資戦法は確立されていました。

 ●第一に相場全体の流れをつかみ「相場の基調」を知ること
●次に収益戦略を立て、「小口の打診」から入ること
●第三に相場に材料が見えてから行動に移り、それまでは辛抱強く待つこと。

 「大儲けができるのは相場が大きく動くときであることを忘れない」というものです。

リパモアは「タイミングこそがすべて」と言っています。

 逆方向に動いたときに相場師の真価が問われる
「安らぎを得ることはできず」、自ら人生の幕を引く

 後年、リバモアがその自らの投資法を体系づ けた「ピボタル・ボイント」と名づけたテクニカル分析は「市場にいつ切り込み、いつ引き楊げるか、そのタイミングを決めるツール」でした。

 リバモアは、

「相楊師の真価が問われるのは、相場が目論見と反対方向に動いたときだ。その時点で即断即決し、損失を食い止める。逆方向に動くということは自分のメガネ違いは明らか。即座に手仕舞う。これができるかどうかは自分のエゴを克服できるかどうか、にかかっている」と、指摘しています。

 リバモアの4度の破綻はいずれもが、人の話に耳を傾けたときに起こっています。

そのため、リバモアは46歳のときに本拠をウォール街から遠い「雑音が人らない」山の手に移しています。

livermore -3

「巨額の富」を生んだリバモアでしたが、その生涯は「苦悩」と隣り合わせでした。

 「タイミング」、「感情の制御」、「忍耐・我慢」を説き、「撤退の勇気」も強調したリバモア。

 ただ、「空売り」で巨額の富を手にする彼に、世間の風評はきつく、また家庭にも安らぎを得られませんでした。

1940年、63歳でビストル自殺。

リバモアは波乱の相場師人生に自ら幕を引いたのです。

参考文献:
「世紀の相場師ジェシー・リバモア」リチャード スミッテン (著)(角川書店)
「欲望と幻想の市場―伝説の投機王リバモア」エドウィン ルフェーブル (著)  林 康史 (翻訳) (東洋経済新報社)

Tweet about this on TwitterShare on FacebookShare on Google+Email this to someone