「草原に飾りはない。偉大な単純がある!」

フランク・ロイド・ライト

Frank Lloyd Wright

(1867年6月8日生まれ)

「近代建築の三大巨匠」の一人として知られるフランク・ロイド・ライトは、1867年6月8日に、米国・ウィスコンシン州の音楽家の家に生まれています。

ニューヨークのグッゲンハイム美術館やペンシルバニアのカウフマン邸(落水荘)などは流れるような空間構成、幾何学的な形状や華麗な装飾といった特徴を持ち、ライトの設計により建てられた建築物は現在でも異彩を放っています。
また、浮世絵の収集家でもあったライトは、アメリカ以外では唯一、日本で作品を残しており、私たちは、間近でも彼の作品を見ることができるのです。

 wright-4

設計に取り組むフランク・ロイド・ライト

小さな頃から幾何学的な立体で遊び
建築家としての感性を育んでいく

フランク・ロイド・ライトの母アンナは教師であり、教育熱心な人でした。
ライトが生まれる前から彼を建築家に育て上げたいと望み、ドイツの教育家フレーベル考案の「Froebel Gifts」というブロック状の遊具を使って彼の感性を伸ばそうと考えていたのです。
アンナは、部屋の床には 1メートルほど間隔を持った、碁盤目のようなラインを引き、木のブロックや厚紙で作られた立方体や球体、三角錐の遊び道具をライトに与え、その上で遊ぶようにしたのです。

また、積木を天井から吊り下げたり、床で組み合わせたりする遊びが、小さな頃からライトの感性を育んでいったのです。

1885年、ライトの両親は経済的事情から離婚してしまい、家族を支援するために、18歳のライトはウィスコンシン大学マディソン校土木科で勉強しながら、働きはじめました。
建築家を志していたライトは、1887年にマディソン校土木科を中退して、シカゴに移り住み、叔父の紹介で、当時、アメリカで斬新な劇場建築を次々と生み出していた建築事務所である『アドラー・サリヴァン事務所』に入ります。
生涯の師となるルイス・サリヴァンの指導のもと、ライトは6年間経験を積み、しだいに住宅の設計など担当する力をつけていったのです。
ルイス・サリヴァンは、「形式は常に機能に従う」という信念を持ち、革新的な建築方法を次々と発表した人ですが、その思想は、ライトに大きな刺激を与えたのです。

独立後、最初の作品「ウィンズロー邸」を設計
「プレイリー・スタイル」が新風を起こす 

1893年26歳の時に、ライトは独立し、自分の建築事務所を開設するときがやってきました。

最初の仕事は、イリノイ州リバーフォレストでの「ウィリアム・ウィンズロー邸」の設計です。
総2階的な単純な形にもかかわらず、水平に伸びたプロポーション、非常にバランスのとれた端正なフォルム、シンメトリーの美しいデザインは、120年たった現在でも少しも色褪せていません。
大きな建物なのですが、外観は威圧感などを与えることなく、街の住環境に優しい住宅で、後に、ライトの建築の代名詞とも言われる 『プレイリー・スタイル(草原様式)』の出発点になったのです。

 Exif_JPEG_PICTURE

独立後、最初の作品ウィンズロー邸

プレイリー・スタイルの特徴は、屋根裏や地下室などを作らず、建物の高さを抑え、水平線を強調した外観やフォルム。内観では、部屋同士を完全に区切ることなく、一つの空間として緩やかにつないでいる点にあります。

このウィンズロー邸は、欧州の古典的な建築様式にならった建築物が主流だった時代に、新たな風を送り込んだのです。ライトの掲げた斬新なプレイリー・スタイルは評判になります。

ライトはこう表現しています。
「草原に飾りはない。偉大な単純がある!」

スキャンダルで自ら招いた不遇の時代
再起の中で「帝国ホテル新館」の建築にかける

独立した1893年からの17年間、43歳までの間に、ライトは計画案も含め200件近い建築の設計を行っていきます。
「自然と建築との共存」「形態と機能はひとつである」というのが彼の建築哲学ですが、そこに影響を与えていたのは幼い頃の教育とウィスコンシンの農場での暮らしだったといわれています。

しかし、その一方で、次々とクリエイティブな発想を求められる仕事のためか、ライトは自ら招いたスキャンダルの主人公となり、不遇の時代を過ごすことを余儀なくされます。
ライトが設計したチェニー邸の施主の妻・チェニー夫人との不倫関係、ヨーロッパへの駆け落ち旅行が明るみに出ることによって、ライトの仕事の機会は激減してしまいます。

空白の期間は約7年続きます。
故郷のウィスコンシン州に戻って、設計活動を再開したライトは、1913年、シカゴのミッドウェーセンターの設計で、ようやく息を吹き返します。

そして1917年、ライトは「帝国ホテル新館」の設計のために来日します。
49歳の時です。
当時、帝国ホテルの支配人だった林愛作がライトに設計を依頼。ライトはは、帝国ホテル新館の建築に、石材、木材といった資材の選定にこだわり、当時の日本では見たこともない「スクラッチタイル」「テラコッタ」「クリンカータイル」といった、新たな建築資材を使用します。
しかし、ライトの完璧主義は、大幅な予算超過を生んでしまい、建築資金を出す資本家との大きなミゾが生まれてしまいます。

その結果、ライトは、この「帝国ホテル新館」の完成を見る前に、米国への帰国を余儀なくされ、工事の後半戦は、弟子の遠藤新の指揮のもとへ引き継がれ、1923年に竣工しています。
その年の9月、完成直後の帝国ホテルを関東大震災が直撃しますが、帝国ホテル新館」はまったく被害を受けませんでした。

自然の中に溶け込む「カウフマン邸」の完成
90歳を過ぎても衰えなかった建築家としての矜持

1936年、69歳になっていたライトでしたが、建築家としての発想がさび付いていないことを証明したのは、ペンシルバニア州ミル・ランでの「カウフマン邸(落水荘)」の完成でした。
プレイリー・スタイルを進化させ、自然の中にある形を設計に生かし、岩棚から突き出たようなバルコニーが印象的で、家そのものがまるで流れ落ちる滝の上を舞い上がっているように見えるのです。
この「カウフマン邸(落水荘)」は、建築家としてのライトを再び第一線に呼び戻すだけでなく、その名声を高め、現在でもライトの最高傑作として位置づけられています。

カウフマン邸

自然の景観を巧みに使ったカウフマン邸(落水荘)

ライトは生涯現役を貫き、第二次世界大戦が終了後、70歳を過ぎる高齢になっていたにもかかわらず、270以上ものプロジェクトに関わり、現場を飛び回っています。
代表作品のひとつであるニューヨークのグッゲンハイム美術館は、彼が92歳の時に完成したものです。
見学者は、まずエレベーターで最上階に上がり、斜路を降りながら作品を鑑賞するという、極めてユニークな展示空間が創られ、最上部からはガラスを通して自然光が入り、スパイラル状の白い建物。あまりの斬新さに、建築当時、そのデザインに対し「賛否両論」デザインは賛否両論を巻き起こしたのです。

 Guggenheim Museum lloyd wright

斬新な「らせん状の建築物」として話題を集めたグッゲンハイム美術館

ライトはこう語ります。
「あなたが本当にそうだと信じることは、常に起こります。そして、信念がそれを起こさせるのです」

日本でライトが設計した「帝国ホテル新館」は現在は愛知県の明治村に正面玄関部分が移設されその面影を残していますが、そのほかにも来日した際に設計した旧山邑太左衛門氏別邸(現・ヨドコウ迎賓館)、自由学園明月館、東京・世田谷区の旧林愛作邸(現・電通八星苑)など、フランク・ロイド・ライトの作品を日本で見ることができます。

1959年4月9日、アリゾナ州フェニックスで92歳の生涯を閉じるまで、ライトは実に800以上の建物の設計を手がけたのでした。

資料:「未完の建築家 フランク・ロイド・ライト」
エイダ・ルイーズ・ハクスタブル著、三輪直美訳(TOTO出版)

フランク・ロイド財団

Tweet about this on TwitterShare on FacebookShare on Google+Email this to someone