「せめてあと10年、せめてあと5年」

葛飾 北斎

かつしか ほくさい

(1760年9月23日生まれ)

ジャンルを問わず
あらゆる画風に興味を示す

 『富岳三十六景』などの浮世絵で知られる葛飾北斎は、宝暦10年(1760年)に江戸の本所・割下水(現在の東京都墨田区)に生まれています。

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小さい頃から手先が器用だった北斎は、14歳で「版木彫り」の仕事につき、18歳で浮世絵師・勝川春草に入門し、役者絵などの浮世絵を描くようになります。しかし、北斎の興味は、単に浮世絵の世界だけにとどまらず、師匠に内緒で狩野派の画法や司馬江漢の洋画なども学んでおり、これが師匠の逆鱗に触れ、破門されてしまいます。

北斎の生活は苦しくなり、食べるために唐辛子や暦の行商などをしてしのぎますが、「餓死してでも絵の仕事はやり遂げてみせる!」と発奮。当時は珍しかった「オランダの風景版画」を学ぶなど、絵描きの修行は怠りませんでした。

内職として、本の挿絵、役者絵、美人画、相撲画など手当たり次第に絵を描いていった北斎は、自らを「画狂人」と称する時期もあり、版画だけでなく、肉筆画でもその才能は傑出していました。

北斎が発表した『北斎漫画』は、見ていて楽しく、江戸の町で大変な人気を博しました。「漫画」とは「思いつくままに描いた絵」という意味を表しており、その自由奔放さが庶民の喝采を浴びたのです。

70歳を過ぎて挑んだ
『富岳三十六景』

北斎は人の度肝を抜くことを楽しみにしていました。

縁日の余興では120畳の布へダルマの絵を描いたり、小さな米粒に雀2羽を描いて見せたり、時の将軍・徳川家斉の御前で、ニワトリの足の裏に朱肉をつけて走らせ、「紅葉なり」と言い放ったこともありました。

北斎は、絵を描くことのみに集中し、部屋が汚れるたびに引越しをしたので、生涯で実に93回も引越しをし、1日に3回引越しをしたというエピソードも残っているほどです。

当時としては記録的な長寿で、有名な『富岳三十六景』の制作にとりかかったのは、北斎が70歳を過ぎてからのことでした。50歳代前半に初めて旅に出た際に、各地から眺めた富士山に感動し、その後、何度も構図を練り直し、制作開始から丸4年の歳月をかけ、北斎が渾身の力を込め、あらゆる角度から「富士山」を描き切ったものでした。

北斎の風景画は、後に欧州などでも大きな賞賛を浴び、ゴッホなどフランス印象派の画家たちに大きな影響を与えています。

北斎は自分が培った画法を若い画家たちに伝えるために絵の具の使い方や遠近法についてまとめた『絵本彩色通』や『初心画鑑』といった書も残しています。

88歳、浅草の長屋で最期のときを迎えた北斎は「せめてあと10年、あと5年でもいいから生きることができれば本当の絵が描けるのに…」と嘆いたそうです。

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