黄金の国・インカ帝国の興亡(1)

資産320兆円に及ぶ黄金伝説

広大な領地から集められた金

世界の歴史の中で『黄金の国・黄金の都』と呼ばれるものはいくつかありますが、13世紀から16世紀まで、南米のアンデス地方に栄えた「インカ帝国」ほど、黄金にあふれていた文明はないでしょう。

インカ帝国の領域は面積100万平方キロメートル、その勢力範囲は現在のペルー、ボリビアを中心に広くエクアドル、コロンビア、チリ、アルゼンチンにまで及んでいたのです。

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インカ帝国では、代々の皇帝はその聖なる証(あかし)として「黄金」に絶対的な価値を置き、広大な領地の中から集めた金を首都クスコに運び込んでいたのです。
毎年、クスコに運ばれてくる金の量は、1万5000アロバ、銀は5アロバだったといわれています。1アロバは約11.25キログラムですから、金で16万8750キログラム、銀で56万2500キログラムです。
現在の価値(金1グラム3200円、銀1グラム45円)にすれば、金で5400億円、銀で253億円の価値が毎年、運び込まれていたのです。

統計では、インカ帝国に集積された金の量は10万トン以上に達するといわれています。つまり、それだけで320兆円にのぼる資産を有していたわけです。

金は「権力と富の象徴」

インカ帝国は文字を持たない文明でしたが、金や銅を精錬する、優れた冶金技術を有していました。インカ帝国では「鉄」の存在も知られていたのですが、その鉄を道具や建材などに利用した形跡は残されていません。
つまり、インカ帝国における金属類は実際の生活に役立つものというよりは、権力の象徴、富の象徴としての意味を持っていたといわれているのです。

当時のインカ帝国領内には、アンデス山脈のアユビル鉱山など、いくつもの金鉱山があったといわれています。チョクトコチャ鉱山、カイヨマ鉱山、ポトシ鉱山など、金・銀を産出する鉱山が豊富にあったのです。その上、インカ帝国をより豊かな文明にしたのは、その領内にあふれる豊富な河川、そこから産出する「砂金」でした。

この砂金や鉱山からの金を使った金細工技術は最高レベルの水準でした。この地では、紀元前500年前ごろから金細工が始まったといわれており、これは世界で最も早く金の加工が始まったことを示しています。

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世界最高水準の金加工技術

金を薄く延ばす圧延技術をベースに、手仕事で黄金の王冠、耳飾り、ブレスレット(腕輪)が作られ、表面には華麗な文様が刻み込まれています。
インカ帝国の遺品の中からは、毛織物の上着に3000個以上の小さな金の薄板が縫い付けられた繊細なものや、逆に、レプッセと呼ばれる浮き出し模様の施された住宅の壁などに貼り付ける「飾り板」や、人間のかたちをした巨大な黄金の容器など、大型の金加工製品も作られていたのです。

世界史の中でも、インカ帝国ほど金があふれかえっていた文明を他に見ることはできません。
しかし、この黄金こそが、インカの地にはるか遠くからの侵略者を呼び込む最大の要因になってしまったのです。
フランシスコ・ピサロ率いるスペイン軍は虎視眈々とその黄金を狙っていたのです。